国内系企業との違い
〜 外資系企業、国内系企業。両者の本質的な違いを理解する 〜
ある伝統的な大手日本企業では、例え仕事がなくても上司より先に帰れない、席替えをするにも一日かけて稟議書を用意しなければならない、一つのことを決めるのに10も20も判子を集めなければならない、という決して合理的ではないプロセスによる意思決定が、未だに見られるそうです。
多くの日本人は、外資系企業であれば合理的な判断基準があり、やるべきことが明確で、やるべきことをやっていればすぐに帰れる、理想的な環境であるというイメージをもっているのではないのでしょうか。
いわゆる外資系企業は、日本企業とは別の判断基準で動いています。外資系企業にいると同じスポーツを別のルールで行っているような感じさえすることもあります。確かに合理的な面は多いのでしょう。
しかしながら物事を判断するのは結局人間です。そして、人間が介在する以上、様々な場面で多様なすれ違いが生じます。そのすれ違いによるストレスに耐えられず、会社を去る人も多いのです。
イメージにまどわされて外資系企業に転職したが、雰囲気に合わず、ぼろぼろになってから辞めていくというケースが少なくないのです。
外資系企業と国内系企業がどう違うのか、それを知って入れば、そのようなケースは減るはずです。違いを理解するうえで欠かせないのが、日本人と外国人(ここでは米国人)との考え方の違いです。
外資でも国内でも、社員は歯車です
日本企業の場合、社員は特注の歯車のイメージになります。
交換不可能ですが、ひとつひとつの機能が不明確であり、全体としてはブラックボックス的に構成されています。
本当は機能していない(働いていない)歯車や空回りしている歯車、逆回転している歯車もあるのですが、見た目は区別できません。そのため交換されることはないのです。
組織に悪いところがあれば、東洋医学に近い考え方で手を加えられます。
どこか悪い部位があっても、その原因を別のところあると考え、症状が出ている部分だけに手を加えるのではなく、全体を見て直していくのです。組織自身が持つ快癒力を利用して、上手くやっていくのです。
一方、外資系企業の場合、社員は汎用的な歯車であり、ひとつひとつ機能が明確です。そのため、交換が容易になります。組織全体はコンポーネントの組み合わせで構成され、コンポーネントは歯車の組み合わせで構成されるイメージです。
そのため、機能しない歯車を見つけたら、すぐに取り替えようとします。そして何回か歯車を交換しても機能しないコンポーネントがあれば、それはコンポーネント自体が悪いとして、コンポーネントを丸々、取り替えるのです。
働きが悪い社員がいれば入れ替える、働きが悪い組織があれば入れ替える。このような、だれにとっても非常にわかりやすい発想に基づいています。
医学でいうと西洋医学的な思想に基づいているのです。
とにかく悪い部位は取り除いてしまえ、必要があれば外部から持ってきた臓器を移植しようという考え方です。
雰囲気をつくっているのは、外国人?日本人
外資系企業に転職してくるのは、日本のパターンからはずれた人の割合が多くなります。そしてブランド好きな人の割合も高いようです。外資系というのも自分を着飾るブランドの一種なのかもしれません。
転職に対する意識の違い
アメリカ人にとって転職しながらポジションと給料をあげていくことが普通です。一方、日本人にとっては、大学などを卒業して最初に入る会社が重要になります。“就職”ではなく“就社”ではないかと言われるように、その会社への忠誠心が非常に高いものになります。最近では、終身雇用が崩壊しつつあるとも言われますが、やはり最初の会社が重要で、日本企業の間を転職しながらキャリアアップしていくのは簡単ではありません。
そのため、日本人は最初に入る会社選びを重要視します。一方、米国人はキャリアアップが普通ですから、最初に入る会社よりも、そのキャリアで、次ににどの会社に入ったのか、そして最後にどの会社へ入ったのかが重要になるのです。
人材の回転の早さ
外資系系企業では、人の回転が早いのが普通です。一年間で5人以上の上司が替わってしまったというような怖い話も普通にでてくるくらいです。
2〜3年で部門全員入れ替わるというのも良くある話です。
日本の企業でも、一部の実力主義を標榜するベンチャー企業では回転が早いようですが、外資系企業に比べると、人の回転はかなり遅いのではないでしょうか。
職務範囲の捉え方
組織を機能毎に考えるため、階層化と細分化が進みやすいのが外資系企業です。もっとも採用される方も、自分の範囲はここからここまでと勝手に切って考えてしまうので、問題はないのかもしれません。最初に提示された範囲の仕事をやってこそ評価につながるのですから、当然のことかもしれません。
外資系企業の人間に質問をすると、「それは、私の仕事ではないのでわからない。」と平気で答えられてしまうことがあります。
日本企業の日本人であれば自分に関係なくても、「正確なことがわからないので、確認しておきます。」などと答えるところでしょうが、職務範囲が明確に決まっている人間にとっては、そのように答える必要もないようです。
世界観の違い
社会ダーウィニズムと親和性が高い『カルバン主義』という考え方があります。そこでは、差別も不平等も自然の摂理として積極的に肯定し、それを改めようとすることは、社会の”進化”を妨げる誤った行為になるそうです。
また、オリエントを支配し、再構築し、威圧するための西洋の様式として『オリエンタリズム』というものもあります。西洋人には、自治能力のないオリエンタル(東洋人)を支配し統治することが、オリエンタルを幸せにするという優越感があり、その最終目的はオリエント(東洋)を支配ないし統治することを正当化することであると考えられているそうです。
宗教観の違い
その他にも宗教観からの違いも指摘されています。
キリスト教では、天国こそが現実性をもった理想の世界で、地獄は天国へ行けない罪人への戒めとしての存在です。これに対して、日本人にとっては、地獄こそ現実性をもった恐るべき世界で、そこへ墜ちないための救済として極楽があります。
キリスト教では「天国が実像で、地獄は陰である」のに対し、日本仏教では「地獄が実像で、極楽は陰である」となるのです。
このことから、一般的に、キリスト教圏の人たちが「天国へ行きたい」と攻めの体質を持っているのに比べ、日本人は「地獄へは行きたくない」という守り型の人間が多いのかもしれないのです。
文化の違い
良く言われる大きな違いとして、農耕民族と狩猟民族というものがあります。
日本人は農耕民族でした。一所懸命という言葉があるように、定住の地を見つけると、そこにしがみついて働き、生きていこうとします。そのため地域における集団が大変重要な役割を果たしてきました。日本人は、昔から『村八分』となることを嫌い、個人ではなく集団で行動しようとしたのです。「赤信号みんなで渡れば怖くない」という笑いのネタがありましたが、みんなでやることが是であったのです。そのため、日本人は仕事に就く“就職”ではなく、会社へ就く“就社”となり、他人から仕事を聞かれると所属集団である“会社名”を答えてしまうのです。
一方、アングロサクソン系は、狩猟民族であり、定住の地にしがみつくことは少なかったようです。獲物を求めて居住地を転々としてきたため、集団行動ではなく個人行動が中心となりました。また遊牧民であっても、土地の草がなくなれば、他の草が生えている土地をさがして移動します。それらの生活から、個人主義が強くなってきたのです。そのため、欧米人は、他人から仕事を聞かれると、自分の専門とする職を答えます。それから自分がどの会社に所属しているのかを答えるのです。
ちなみに、子供の野球の練習は、アメリカではバッティングから始まるのに対し、日本ではキャッチボールから始まるのが普通です。ここにも「攻め」と「守り」の違いが出ているのかもしれません。

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